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は行のレビューです。 新着順に掲載しています。

ヒューマンライツ6月号  部落解放・人権研究所

2011年「部落差別とアイデンティティ――「期待される「部落民像」――アイデンティティの獲得と継承」の意図」『ヒューマンライツ6月号』(部落解放・人権研究所)279号:23-26.

これはかなり思い切ったことを書いてるんですが、編集の方以外は、いままで特に反応なし。
「寝た子を起こすな」論についての究極のアンチテーゼになるかと。

簡単に言えば、「おまえら、だまっとけって言うな、わたしらの存在をなかったことにするな」ということです。もちろん、世代差もあると思うけどね。しかしもう、3世代も4世代にもなってるわけです。                                                                                                    

                                               (2011/7/7 りゅうし

部落解放  2011年7月号  解放出版社

http://www.kaihou-s.com/bl/bl_mokuji/bl_201107.htm

部落問題と向き合う若者たちシリーズも第3弾。ぜひ感想をお寄せください。

                                              (2011/6/27 りゅうし

部落解放 2011年01月号 解放出版社

雑誌部落解放2011年01月号(第639号)にて、特集「部落問題と向きあう若者たちⅡ」が掲載されています。前回特集(2009年8月号)では、僕の解説的な文章なども載せていましたが、今回は僕からそれぞれの方々へのインタビューというかたちでまとめられています。登場するのは部落問題と向きあう4名の若者たち。

特集の意図はこんな感じ。

「本特集は、部落問題と向き合う<人の魅力という可能性>から、現状に迫る試みである。前回の特集で私は、「具体的な人びとの生のありようを知ることから、その背景にある問題に気付けば、問題はごく身近なものとしてとらえられる回路が開かれる」(内田、二〇〇九、五六-五七頁)と述べた。マジョリティの人びとからとかく見過ごされがちなマイノリティの人びとが、ひとりひとり顔の見える存在として認識されることは稀である。また、部落問題がタブー視されているなかで、部落出身であること/部落問題とかかわりを持っていることをカムアウトすることは、今もそれほどたやすいことではない。
 そんな状況において、本特集は、部落問題と向きあっている若者たちひとりひとりの生き方に焦点をあてたインタビュー記録である。彼/彼女らの部落問題との向き合い方から、何かを受け止めていただければと願っている。」(内田,2011:12)

文献
内田龍史,2009「部落問題を語ることの困難とその可能性」『部落解放』8月号(618号):49-59.
内田龍史,2011「はじめにー「部落問題と向きあう若者たちⅡ」によせて」『部落解放』1月号(639号):12-13.

是非ご覧ください。そしてできれば買ってください(笑)。
さいごに、顔写真入りでの生活史インタビュー記録の掲載を引き受けていただいた方々に、深くお礼申し上げます。
                                             (2010/12/22 りゅうし

部落差別をこえて 臼井敏男著 朝日新聞出版(朝日新書)

 もともとは、朝日新聞の夕刊「ニッポン人脈記」の連載で、部落問題について33人の人を取材した「差別を越えて」が加筆されて1冊の本になったものです。私の友人、知人、そして、父も出ています。

新聞での連載時、毎日夕刊が届くのを楽しみにしていました。いつも娘がお昼寝から起きて、おやつを食べた後、外遊びに出ようとすると夕刊が届いている、という感じだったので、外へ出て家の鍵を閉める前に、新聞受けから新聞を取り出してそのまま立ち読みをしていたんだけど、父が掲載された回のタイトル「東京わかってくれない」というのを目にした途端、私は涙があふれてしまい、慌てて娘を呼んで家の中に入り、玄関でわんわん泣きながら記事を読みました。

それは、私自身の部落問題との関わりそのものを象徴する様なフレーズだったから、だと思います。

この本の中で、関西出身で東京に住んでいて、自宅に「部落民は出て行け」「死ね」「殺す」などと書かれたはがきが届いたり、近所に「一日も早く部落民を追い出しましょう」というはがきが届いて、近所の住民にも「出て行ってくれないか」といわれた男性がこんなことを言っています。

「関西は人間関係の濃厚さが差別の舞台です。部落が差別されていることを誰もが知っている。だから、娘や息子の結婚で部落とかかわるようになることを嫌がる。人間関係が濃厚になるところで差別が表れます。東京では人間関係の希薄さが差別の温床になっています。世の中に流れている偏見にもとづいて、簡単に行動を起こす。差別される痛みや辛さを知らないから、容赦のない差別になる。そもそも東京では部落の存在が想定外です。その想定しないものが目の前に現れると、気味が悪いと言って排除する。その場合、排除することを悪いとも思わないし差別しているという意識もない。そこではいくら説明しても差別の辛さや苦しさをわかってもらえない。部落出身者にとって東京は怖くて生きにくい街です。部落出身を隠さないとどんな目にあうかわかりません。」

「部落差別は過去のことというのは東京に来てから何度聞かされたか。そういわれると、もう言いようがないのです。現実に差別されて傷ついている自分はいったい何なのか、自分は幽霊か、と思ってしまうんです。差別なんか気にするな、と言われることもある。その場合も、気にしている自分がいるわけだから、むごい話になります。」

私は、その東京という街で育ちました。両親は、関西の出身で部落差別を感じながら、実際に受けながら生きてきた人だったから、私たち子どもには、「部落を誇って生きていって欲しい」「部落差別に負けないで生きていって欲しい」という感じで育てていて、子どものことから部落問題についての話を聞きながら育ちました。

でも、一歩家の外に出たら、先ほど書いた男性の話の様に、部落問題は想定外、その存在すら知らない人が大勢で(特に学生の時なんかは)、部落問題について話をしても、「気にしなければいい」とか、「こっちは知らないのにそうやってわざわざ話してきて、同情されたいの?」とか「だから?」とか、「ふ~ん」とか、そんな反応がほとんどでした(もちろん一握り、そうでない反応をしてくれる人もいて、それはとても嬉しいのですが)。

私の場合、部落差別が怖い、というよりも、部落問題に対する無関心さや理解のなさ、そういう人の冷たさの方が身近な怖さでした。でした。というか、今もそれは変わらないんだけど。

だから、「東京わかってくれない」というタイトルを読んだ時、私のそういう想いをこの記者さんはわかってくれたんだな、ということと、東京で部落出身者というアイデンティティーを持ちながら生きることの大変さに光を当ててもらえたということの嬉しさで、外だというのに、娘が遊ぶ気満々で公園に行こうとしているのに、溢れてくる涙を止めることが出来なかったのです。

部落問題を扱った記事とか本とかで、こうやって東京という場所が取り上げられるのもとてもめずらしいことだし。ちなみに、「東京わかってくれない」というタイトルは、本では「東京は怖くて生きにくい」となっています。

東京を取りあげてくれたからということだけでなく、私はこの本がとても好きになったんだけど、それは、いろんな角度から部落に関わりながら生きている人たちが出てくるところじゃないかな、と思います。運動をしている人、部落の文化に関わっている人、部落産業に関わっている人…。部落問題についての本だけど、ここに出てくる33人のうち3分の1は部落の出身者ではないし、いろんな角度から、とてもカラフルな部落を感じられるのです。

とても、とてもお勧めの本です。

                                               (2010/10/30 たみ

今月10日に、今年1月の朝日新聞夕刊1面で連載された「ニッポン人・脈・記/差別を越えて」が新書になりました!それぞれの記事に加筆がされて、より充実したものになっています。

帯とあとがきに私の記事に通じる部分が引用されていてうれしい。
臼井さん、私の考えていること・伝えたいことを的確にひろってくださっているなぁ〜。
ありがたいことです。
「これ、読んでみてください」とまた1つ、部落問題や自分の思いを伝えることができます。

                                              (2010/09/19 ともえ

臼井さんから新刊『部落差別をこえて』(朝日新書)が届く。
今年1月に朝日新聞夕刊一面の人脈記に連載されていた内容がまとめられたもの。

マイノリティの問題って、当事者の顔と名前が出ないと、マジョリティの人にとってはまったくもってリアリティが感じられないことが多い。しかし、マイノリティにとっては当事者の顔と名前が出ることは差別されたり不利益を被ったりする可能性を呼び込むことでもある。そういう意味で、一人一人の人物にインタビューするという手法は非常に有効だと思う。まずは「ひとりの人間である」という想像力すら奪われがちなので…。

しかしまぁ、つきあいが長いと考え方が似るのというか、同志というか、もう随分と部落問題について語り合ってきたけど、言いたいことを本当に言ってくれてるなあと思います。僕がしゃべることなくなるがな(笑)

という内容については、「エイッと一歩、踏み出せば世界が変わる」を参照。僕の研究をふつうの語りで言語化するとこうなる、という感じ。

内田龍史 2006年「部落出身青年のアイデンティティと社会関係――奈良県連青年部調査結果から」『奈良人権・部落解放研究所紀要』(奈良人権・部落解放研究所)第24号:81-100.
内田龍史 2004年「部落マイノリティに対する忌避・差別軽減に向けて――『接触仮説』を手がかりに」『部落解放研究』(部落解放・人権研究所)第156号:31-47.

宮崎懐良・川﨑那恵・内田龍史・組坂繁之・川口泰司 2009年「部落問題はいま――若者からのメッセージ」『ヒューマンライツ10月号』(部落解放・人権研究所)259号:12-23.
内田龍史 2009年「部落問題を語ることの困難とその可能性」『部落解放8月号』(解放出版社)618号:49-59.

 

興味があればこのあたりをご覧ください。

                                             (2010/09/10 りゅうし

橋はかかる 村崎太郎・栗原美和子著 ポプラ社

一昨日、職場の机に戻ると、はがきが届いていた。
村崎太郎さんと栗原美和子さんの新刊案内だった。
太郎次郎の次郎の吹き出しに、
「「話せる」ということがどんなに人を自由にするだろう。」
とあった。

昨日、電車の中で朝日新聞を読んでいたら、
2面を開けたところに、この本の広告が大きく載っていた。
そこには、
「ひとりに話せたら、心が開いた。ひとりに話せたら、皆に話せた。」
とあった。

ほんとそうだなぁ、村崎さん・栗原さんすごいなぁ、
と2日連続で元気をもらった。

                                             (2010/06/17 ともえ

ひぐらしのなく頃に 綿流し編 竜騎士07著 スクウェア・エニックス

なんかの拍子にネットで部落差別のことを調べていたときに、「ひぐらしのなく頃に 綿流し編」は部落差別ネタが入ってる、ってのを見たことがあって、ずっと気になっていました。

BOOK OFFで売ってたので確認。たしかに部落問題絡みの話だった。殺人の話はまぁ別として、差別を受けることの悲しみと、被差別の立場であることの連帯が描かれていて、まぁ、そんなもんかなと思ったしだい。差別されないためにどう闘うのか、というのは難しいところ。

でも綿流し編しか読んでないのでまだよくわからん。もう少し探索します。

まぁ、それ抜きにしても、怖い話…。
                                             (2010/02/16 りゅうし

 

部落解放 2009年 08月号 解放出版社

今年の雑誌『部落解放』8月号は、「部落問題と向きあう若者たち」という特集です。
インタビュアーも務めています…。

ほとんど蛇足になってしまっていますが、

「部落問題を語ることの困難とその可能性」『部落解放8月号』(解放出版社)618号:49-59.

という原稿も書いています。

多少、運動批判的なことも取りあげていますが、部落問題と向きあうことと既存の運動に参加することは、運動的には重なって欲しいのだろうけれども、必然的に重なるものではありません。

部落問題は、当然、部落解放運動問題に還元できるはずもなく、運動に参加していない当事者であるからこそ、部落問題と向きあわざるを得ない状況があることもある程度わかってきています。

そんなに単純な問題ではないな、ということと、その中で、それぞれにはそれぞれの人生がある、ということへの気付きになれば幸いです。

                                             (2009/07/21 りゅうし

被差別部落の大学卒業者の進路と結婚 竹口等・外川正明・伊藤悦子著 京都部落問題研究資料センター

一般書店では取り扱ってないはず。問い合わせは直接センターまで。
僕と同年代の京都市の被差別部落出身の若者11名に対するインタビュー調査。大卒者を対象に、進学・職業選択・結婚のプロセスを聞き取っています。

ちなみに、この年代の京都市の同和地区の大学・短大進学率は、91年23.6%、92年27.9%、93年30.6%、94年33.7%であるのに対し、京都市では45.4%、48.3%、50.4%、52.9%とかなり格差があります。(京都市教育委員会『学校における人権教育をすすめるにあたって 資料集』2002年度)そういう意味でも貴重なデータ。

聞き取りなので、端々の語りがかなり面白い。
特に面白いのは、大学に行くと人間関係の広がり、視野の広がりを体験でき、そのことが自身の部落問題認識や部落アイデンティティを振り返るキッカケになっていること。外の世界を知ることによる地区への評価。ネットワークの広がりの重要性など。これらの点を見るだけでも、既存の地域フランチャイズの解放運動だけでは限界があることがわかる。(もちろん、地域フランチャイズの運動が不必要であるということではない。階層の低さと地域移動の限定を考慮すれば、そこへの社会資源の投入は当然必要。)

ないものねだりをいくつか。部落問題の予備知識がある人にはかなり面白いのですが、ない人にとってはよくわからないことが多いのも事実。部落解放運動がどのような部落民を育成しようとしてきたのかについてもう少し記述しても良かったのではないか。とくに、学力については相当にアレルギーがあったこと、地域で運動に関わることが第一義的であったことなどについてもう少し批判的に書いた方が、課題をはっきりと示すことができたのではないか。

そういう意味では、自己実現、自己選択が強調さえているけれども、「部落差別を解決する主体」と、彼/彼女らの生き方をどう整理するか。彼/彼女らは「部落差別に負けない主体」ではあるけれども、「解決する主体」なのか? そうした同和教育の目標の妥当性も含めて、同和教育の総括ということであればそこをもう少し突っ込んでもらいたかった。

あと、当事者から地区に残っている人に対する評価が語られているけれども、今の時代だからこそ、高校に進学できなかった人たち、高校中退してしまった人たち、高卒で終えている人たちの進路選択と部落問題認識について、改めて問われているのではないかと。つまり、差別・アイデンティティと格差のメカニズムに対する丁寧な調査・分析。そういうアプローチの研究もほとんどないですしね。(この点については、現在科研に申請中。)

ということで、これらの課題についてはそのまま僕の研究に跳ね返ってきます。

                                             (2009/01/04 りゅうし

はじめての部落問題 角岡伸彦著 文藝春秋

被差別部落出身者ではあるが部落に暮らしたことはない、東京出身という私が、初めて「今、私が感じている部落問題がリアルに書かれている。」と思えた本でした。

著者が自分で見つけた立ち位置から、自分の目で見て感じて書いています。あるようでなかった本だと思います。

今まで、部落のことを知るにはどの本を読んだらいい?と聞かれても、これ!というものがなかったけど、これからはこの本を薦めることが出来ます。

ただ、部落問題は日々状況が変わっていっているので、10年とか20年とか後にはここに書かれていることは古くなっているでしょう。その頃にはまた、その時代の「はじめての部落問題」を作者に出版してもらいたいなぁ。

                                              (2007/12/13 たみ

被差別部落の青春 角岡伸彦著 講談社

ほんまおもしろい。
現状や重さもちゃんと書かれていて、笑える部落問題の本、私はほかに知りません。
もちろんしっかりかかれているからこそ安心して笑えるんやけど。
「差別(する側)を笑ってしまえ」っていう角岡さんのスタンスが、いいとか悪いじゃなくて、「おもしろい」。
部落問題の本を読むなら最初はこれをすすめたい。

                                                 (2005/08/18 みどりん