今までのテーマトーク
2月のテーマは『部落の名前や場所を、報道することってアリ?ナシ?』です!
(先月に引き続き、今月も座談会形式でのテーマトークです)
スカイプ座談会第3弾。今回は、前回話しきれなかった「部落の名前や場所が出ることの是非」について話し合いました。参加メンバーはみどりん、たみ、C、りゅうし、こちえ。そもそも部落の地名が出ることの何が問題なのか、書かれる側はどういう気持ちなのか、一人一人の立場や経験をもとに、今回もかなり盛り上がりました! それぞれの部落との関わりについて、メンバーそれぞれの状況を載せておきますので、併せてお読みください。
みどりん:部落に生まれ育ち、今は生まれ育ったのとは別の部落を拠点にまちづくりに取り組むNPOで働いている。居住は今は部落ではない地域。
たみ:関西の部落出身で部落解放運動の活動家の両親に、東京の部落ではない地域で育てられる。部落に住んだことは一度もナシ。でも自分が部落出身者だというアイデンティティは強く持っている。
C:東京都の部落で生まれ育った。ただ東京はみんなそうだけど、地区指定はされていないので※、行政的には部落ではない。
※国が同和対策をする際に行った「同和地区指定」で指定された地域は東京にはなく、東京都が独自に「部落を内包する地域」として3地区のみを指定し対策をしていた。
りゅうし:現代の部落問題を研究している。地名を出せなくさせている社会が問題だと思う。
こちえ:部落外出身、職場は部落内だが、現在は「部落ってなに?」という人がほとんどの北海道のNPOで研修中。
今回のテーマは、「部落の名前や場所を、報道することってアリ?ナシ?」
【①部落の地名が出ることのなにが問題?】
みどりん: 橋下さんの週刊朝日の記事は、「八尾安中」って書いてたんだよね。
たみ: 「八尾市安中地区には被差別部落がある」って書いてある。
みどりん: その後、記事が問題とされたのも、「地名が出たからアウトや」、みたいな感じやったよね。朝日もそれを謝罪したんよね。
たみ:基本的なところでちょっと確認しておきたいんだけど、部落の呼び名って、みどりんやこちえが働いている「北芝※」みたいに地図上には載ってないけどそう呼ばれている通称の場合と、実際に地図に載っている地名の場合と2パターンあるよね。今回の「安中」はどっちなの?
※北芝は大阪の北部、箕面市に存在する集落。地図にはないが、愛情と誇りをこめて「きたしば」と名乗っています。
みどりん:地図にも載ってる町名やから、安中の一部がたぶん、ムラ※なんやろね。
※被差別部落を指す。部落に身近な人の間では「ムラ」とか「地区」という言葉が部落を指すことがある。ex,「うちのムラの子」「地区に生まれて...」
C:地名が出ることの問題点はなに?
みどりん: 特定されるってことじゃない?差別する対象がはっきりするからだと思う。
たみ: どこが部落か知らない人も、ああ、あそこは部落なのね、って思う。
C: なるほど
たみ: それが差別につながることもあるっていうことかな。
みどりん: 今回以外に、地名が出たことで、問題になったことって過去にどんなのがあるんですかね?それで、運動側が糾弾したりとか。事例として知ってる?
りゅうし:たとえば、古地図だったら「穢多村」とか載ってるでしょ? かつては場所がわかるから伏せるように運動団体が要望してたことはあった。その場所が部落だとわかると悪用する人がいるから。でも、実際にあった場所を地図から抹消するのってヘンじゃない?っていうことで今は掲載されるようになってる。
みどりん: googleのストリートビューとかも問題なってたよね。町並みを、分かる人が見れば、部落だと分かって、その人に悪意があれば、ネット上で「ここは部落」という情報が流されるという。実際に事例としてあったみたいだし。
りゅうし:あとは、地名総鑑※の問題が大きいんじゃない? 地名総鑑を使って身元調査をしていることがわかったから、地名を伏せて身元が暴かれないようにしていったと。
※1975年に発覚した本。部落の地名一覧が掲載されており、多くの大企業が購入していたことから、それら企業に部落解放同盟が糾弾を行った。
みどりん: 今は、場所は運動側は、部落の所在地を隠す方針ではないの?
りゅうし:基本的には伏せる方向になってる。例えば大阪だと運動団体の要望があって、身元調査を規制するための「部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例」ってのがある。
みどりん: この問題って、結局情報を使うほうのさじ加減やんね。差別的に使うのか、そうじゃないのか。難しいよね。
りゅうし:地名を隠すのか、出すのかっていうのはずっと議論がある問題。
みどりん: 運動側というか、当事者側からは、地名を出すよね。ダブルスタンダードではあるかぁ・・・。
たみ: そこはでも、部落解放同盟は、だと思う。解放運動やってない人は、部落に住んでいる人でも堂々とオープンにしてるわけじゃないんじゃないかな。
りゅうし:解放運動って、部落出身の人たちには誇りを持ちましょうって伝えてきたよね。他方で、部落外の人たちには基本的に地名を伏せるように要望してきて、今まできている。そこは一見わかりにくいよね。出したいんだけど出せない。なぜなら差別がこわいから。
みどりん: 矛盾してるけど、矛盾しちゃうのは、すごくよく分かる話やね。ふるさとを恥じるのは嫌だけど、差別されるのも嫌だ、っていう。
C:でも地名を隠して歴史的にもなかったことにされたら私はイヤだな。事実はきちんと残して欲しい。
【②地名を出される側の気持ちは?】
たみ: この中で、実際に今現在部落に住んでるのは、みどりんとC?
みどりん: 生まれ育った部落には、今は住んでない。春から実家に戻るからまた住むことになるけど。
C: 住んでる。
たみ: 自分が住んでる部落の地名が雑誌とかで出されるのはどういう感覚?
C: 問題ない。お父さんとかBH※とかセーフティネットがあるから。自分に関してだけだったら問題ない。差別されるのはイヤだけど、自分のルーツや家族を誇りに思っているし、何も恥じることはないから。
※BURAKU HERITAGEの略称
たみ: それはでも「自分に関しては」なんだよね?
C: うん。そう、自分にはセーフティーネットがあるからそう思えるんだと思う。でも、部落出身を隠したい人がいて、地名が公表されることによって差別される恐怖を感じてしまうんだったら良くないのかなと思う。
たみ:みどりんは?
みどりん: 地名を出す、とか、出てOKとする、というのは、地域ぐるみでのカミングアウトみたいな意味を持つと思うねん。
たみ: なるほど。
みどりん: 例えば、地域のリーダーが、地域の取り組みを取材してくれた新聞やテレビに「この地域は○○市の●●」という情報を出してOKと言って、実際に報道されたとするやん?その場合でも、住民全員に同意をとって出すのは無理やんね。
同じように、私個人が、自分のこととして、地名や場所を含めてカミングアウトしたら、同じ地域の人のことも、カミングアウトしちゃった意味合いを自動的に持ってしまう。それは難しいことだな、と思う。
けど、実際は、ええい、言っちゃえ、と思って言ってる。
たみ: 躊躇したりとかはあまりなく?
みどりん: 最初はあまり、そのことの意味に気付いてなかったんだけど、気付いたときは躊躇は、した。
たみ: でもまたそこから変化があって今は言っちゃえ!になってる?
みどりん: 今は、やっぱり差別を避けるよりも、オープンにして発信していくほうが大事だと、考えてるからかな。
たみ: それで地域のほかの人に何か言われたりとかはない?
みどりん: 今のところは。
C:さっき言ってた難しいっていうのは、どのへんが難しいと思うの?
みどりん:私のことやけど私のだけのことじゃないから。
りゅうし: でも「わたし」のことでもあるやんなー。わたしってみどりんのことね。
こちえ: 北芝はみどりんとおなじようにプラスのイメージでオープンにしてるね。
みどりん: うん。
りゅうし: その方向性がいいよね。賛成。
こちえ: 私も。
みどりん: マイナス(差別)を避けるより、プラスの発信を積み重ねていくことのほうが、「差別が怖いから、地名出さないで」と思ってる人にとっても、長い目で考えたら意味があるんじゃないかな、と思う。・・・って私の考えを押しつけてるんだけど。苦笑
C: 私もそう思う。
こちえ: でもオープンにすることでなにかあったときに逃げ込める場がいるなーとはおもう。
たみ:うん、それはすごく大切だと思う。
あと私は、隠したい人は地名をオープンにされることに対してどう思うのかなっていうことを、どうしても考えちゃう。私自身は隠したらいいと思っているわけじゃないんだけど、隠したいっていう人の権利はどう守るのか、守れないのか、守られないのか…。
りゅうし: オープンにしたい人と隠したい人がぶつかるね。
たみ: そこがひっかかって、私はイマイチ、オープンでいいんじゃない?とは開き直れない。
みどりん: だから、「私のことでもあるんだから、勝手にオープンにしないで」って言われたら、謝ると思う。単純に、ごめんなさい、ってなる。
りゅうし: でも、出したい私もいると。
たみ: 引き裂かれる感じだね。気持ち的にも。
りゅうし: これって部落解放をめぐっての根本問題だね。引き裂かれるんですよ。歴史的には、部落の側が地名を変えてくれっていう要望は結構あったはず。その名前だと差別されるから。すごいトラウマ的なのね。一定の年齢層以上の人にとっては、部落ってすごくネガティブにとらえられてるんよね。1960年代以前を経験している人は特にそうだと思う。
たみ: その名前で差別されてきたからっていうこと?
りゅうし: そうです。差別され続けてきたから。
みどりん: その名前だと差別されるから(未来形)っていうのもあるだろうし。
りゅうし: そうじゃないよって運動が1970年代以降に広がっていったんだけどね。誇りを持とうっていう。
たみ: 同じ部落の中でも、世代によってもかなり自分の地域に対する感情は違うってことだよね…。
みどりん: そうじゃないよっていう運動が広がってったっていうのは、その方向じゃなきゃ、と私も思う。
りゅうし: と思う。
みどりん: アフリカ系の人が、黒い肌がいやだって、思ってしまう悲しさと一緒じゃない?
りゅうし: そうそう。
みどりん: 「black is beautiful!」って言う必要があったんだと思う。
こちえ: じゃないと根本的に解決されないってこと??
みどりん:そうじゃないかな。あと、人としての尊厳の問題。プライド持って生きて生きたいやん。
たみ: 新たにそこに生まれる人たちは、そういう考え方のもとに育っていっているけど、古くから住んでいる人たちはそのトラウマを拭いきれないという感じなのかな。
りゅうし: そう思うし、運動がない地域ではまだまだそうだと思う。今回の「週刊朝日」報道とかでまたネガティブにとらえられるんじゃない? そうすると親は隠すよね、子どもに。でもそういうことが起こらないように部落の先輩たちは頑張ってきたわけなんだけど。
たみ:差別されるかもしれないリスクを私たちは持っている。でも、それは差別する側が悪いんであって、私たちが隠すことでも卑下することでもないんだ、ということだよね。ただ、差別されるということの恐怖やトラウマは相当なものだと感じるし、私自身にもあったからね、方向性としては私も賛成だけど、「誇りを持とう」だけじゃなく、そのリスクやトラウマとどう向き合うのかということも、併せて取り組んでいかなければいけないことだと思う。
【③どんな書かれ方ならいい?いや?】
たみ: 自分たちで出す時は、引き裂かれるよね…っていう話になっているけど、誰かに報道される場合は、書く人がどういう覚悟で書いているかとか、どういう文脈で書いているかとか、そこも大きいよね。
みどりん: 地名の出方っていう問題もある。
報道の時は、出方や文脈が差別的でないこと、配慮があること、が必要かと。
C: そうだね。
りゅうし:書き方に配慮があると言えば角岡伸彦さん※の文章は秀逸やね。読み手にどう読まれるかということにとても配慮してる。
※『被差別部落の青春』『とことん!部落問題』『ピストルと荊冠』(いずれも講談社)など、部落問題をとりあげているフリーライター。
みどりん: 角岡さんの文章、私も好き。
りゅうし: 地名を出して部落問題について書く、ってことはそれなりの配慮がいるってことよね。
こちえ: 視点の問題?中立ってこと?批判でもなく擁護でもなくみたいな。
たみ: 読み手がどう受け取る可能性があるかをキチンと考えた上で書いてるってことじゃない?
りゅうし: 書き方。差別を強化する方向に流れないように配慮している、ってことかな。
たみ: うん、そういうのは、感じる。角岡さんには。
みどりん: 角岡さんは、読んだ人が、どう受け取る可能性があるか、を考えて、バランスをとりながら文章をつくってる感じ。
りゅうし: そうね。
みどりん: なんか、具体的な文章をピックアップして、こういうのがいい、こういうのは嫌っていうのを、あーだこーだ言い合えても面白いかもね。
こちえ: 私、まわりのひとにもリサーチしてみようかな。北海道のひとって部落問題ぜんぜん知らないから、どう思うかきいてみたいな。
りゅうし: ひとりずつ、ピックアップする?実際に書かれた記事とか文章とか。
みどりん: いいね。えっと、じゃあ次回はそうしよ。
たみ: この書かれ方はいやじゃないけど、この書かれ方はいやだ。あと、理由。
みどりん: これをやれば、いい報道、わるい報道の違いが整理できるかもね。私たち的な「いい」「わるい」だけど。じゃあそうしよう。
ということで、次回はそれぞれのメンバーが「イヤではなかった書かれ方」と「イヤだった書かれ方」を実際にピックアップして持ち寄ったものをもとに座談会の続きをする予定です!乞うご期待!