今までのテーマトーク
3月のテーマは「カミングアウトについてどう思う?」です!
(2月のテーマトーク座談会の続きは来月掲載します)
みどりん カミングアウトって、実は大人になってからはしたことがない気がします。
「カミングアウト」っていうのは、隠してたもの、明らかにしていなかったことを、オープンにする、というニュアンスがあると思うのですが、特に隠してないし、明らかにしていないわけでもないので、カミングアウトって感じじゃないのです。
「私部落出身で・・・」という話をすると、「大変なことを話してくれて・・・」というような反応をされることが結構あるのですが、なんかそんなたいそうなことじゃないねんけどなぁ、といつも思います。(2013/3/12)
ともえ カミングアウトは、博打・・・。、身近な人間関係のなかで起こる場合は、勝つ確立高し、メディアに打って出るときは未知数、って感じです。部落出身であることを知られたらどう思われるのかな?という気持ちが一時期よりは減ってきたけれど、確かにあります。そんな心境で、この人なら伝えても大丈夫だろう、と自分のなかで賭けて、伝えることにします。(2013/3/12)
たみ 自分が部落の出身者だというアイデンティティを持っているということを、私自身は隠していないし、むしろどんどんオープンにしていろんな人に知って欲しいなという想いがあるのだけど、ただ黙っているだけだとそれが人には伝わらないので、あえて「人に自分の出身を伝える」という作業をしなくてはいけない。それが私にとってのカミングアウトかな…。
ただ、その「あえて」の作業をどこにどう滑り込ませていくかというのが課題で、難しいです。今はSNSに部落のことを書いたりとかして、面と向かって誰かに…ということはあまりないかも。一番最近だと、こどもが通っている幼稚園の担任の先生に、幼稚園の生活の中でセクシャルマイノリティのこどもがいる可能性があることを考慮して欲しいというような冊子を渡しつつ話をした時に、流れというかついでな感じで「ウチは部落で…」という話をしました。
なぜ、あえてカミングアウトをするのか…ということで言えば、被差別当事者が実際にこうして暮らしていて、身近にいるんだということを感じてもらうのは、インパクトが強いと思うから。「どこかで聞いたことはあるけど、実際にそういう人には出会ったことない。」とか「そんな人がいるなんて知らなかった。」とかって人に、少しでも、遠くの話じゃない、他人事じゃない、と思って欲しいから。
でも、そのインパクトの強さと引きかえに、差別されるかもしれないリスクや、うまく伝わらずに凹んだりするリスクなんかもあるので、誰もがカミングアウトをすべきだとは思わないし、誰かが勝手に「あの人は部落の人なのよ。」と言ってしまうのはいかんと思います。
あくまでも、リスクを踏まえた上で本人の意思でやること、というのが大前提かな、と。(2013/3/12)
こちえ 私は部落出身ではないですが、自分の働く地域について語るとき、「部落なんです」と伝えるか、迷うことはよくあります。
自分たちの活動は解放運動が原点になっているし、私のなかで当事者意識もあるので、誠実に接しようとすると話さないわけにはいかないけど、相手のひとが「どう反応していいかわからない」という顔をして急に静かになったりすることも多いので、それを予想すると面倒になるのです。
部落問題とは離れますが、自分の家庭のことを話すとき(いろいろ複雑な家庭です)、私はふつうのこととして話すのに、「苦労してきたんやな」とか勝手に同情されたりすることがあって、そこで感じる面倒くささに似ています。
カミングアウトをして差別されるかもということもよりも、「また微妙な顔されるんちゃうか」という面倒くさく思う気持ちと、でも丁寧に自分たちのことを伝えたい・・という気持ちの間で揺れます。(2013/3/29)